武州騎西之絵図<ぶしゅうきさいのえず>
武州騎西之絵図は江戸時代のはじめに描かれた絵図で、大久保忠常<おおくぼただつね>と忠職<ただもと>父子が騎西(私市<きさい>)城主だった慶長<けいちょう>7年(1602)から寛永<かんえい>9年(1632)の間に作られたものです。城は沼にかこまれ、まさに要害の地だった様子がうかがえます。
町場や武家屋敷には多くの寺や神社があり、また、城のまわりには当時の村が書かれています。
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武州騎西之絵図は江戸時代のはじめに描かれた絵図で、大久保忠常<おおくぼただつね>と忠職<ただもと>父子が騎西(私市<きさい>)城主だった慶長<けいちょう>7年(1602)から寛永<かんえい>9年(1632)の間に作られたものです。城は沼にかこまれ、まさに要害の地だった様子がうかがえます。
町場や武家屋敷には多くの寺や神社があり、また、城のまわりには当時の村が書かれています。