武家屋敷を探る
騎西城の武家屋敷は根古屋<ねごや>の騎西郵便局あたりから、東の牛重<うしがさね>の天神社<てんじんじゃ>まで広がっていました。その広さは東西が約1,200m、南北が約500mで面積は約600,000m2(60ヘクタール)もあり、騎西中央公園(3.1ヘクタール)の19個分の広さでした。そして、城と武家屋敷の面積をあわせると約760,000m2あり、それは東京ドーム16個分になります。
武家屋敷の道はT字路が多く、城へ入るときには何度も道を曲がらなければなりません。これは、戦のときに敵がなかなか城に入れないように工夫したものと考えられます。そして、武家屋敷にはあちこちに堀が掘<ほ>られていて、そこを通る道には橋がかけられていました。これも戦のときには橋を落とし、そこで敵を防ぐようにしたと思われます。
武家屋敷には多くの家臣の名前が書かれています。また、牛重の庄屋五兵衛<しょうやごへえ>の入り口には百姓や山伏<やまぶし>が住んでいました。そして、牛重の妙光寺<みょうこうじ>の東には足軽が住んでいた足軽町が書かれています。