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浅間山の大噴火を伝える石橋供養塔

天明3年(1783年)6月中旬より信州浅間山の震動が続いていましたが、7月6日の夜に砂降りが始まり翌7日九つ時(正午)になると昼ながら暗闇の状態となりました。砂降りは一層激しくなり、あたかも大雨のようでした。加須周辺では1坪に6斗5升も降り積もったといいます。その夜は雷が鳴り渡り、稲妻によって辺りはまるで昼のようになったばかりか、鍋釜に反響した雷鳴のために気絶するひとも大勢いました。夜半から翌朝にかけて絶え間なく震動が続き、8日にはついに本格的な噴火が始まったといいます。この噴火による火山灰は関東一円の田畑に大きな被害を及ぼすとともに、利根川などは上流から流出した噴出物や砂降りで河床<かわどこ>が急激に上昇し洪水を引き起こす原因となりました。また、火口から立ち上る噴煙は異常気象をもたらし、天明の飢饉の一因にもなったといわれています。

石橋供養塔は高さが1mで、水深村(当時)の人が世話人となり、この橋を利用する地域の人々がお金を出し合って寛政3年(1791年)に建てたものです。

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