江戸幕府の成立と大利根
天正18年(1590年)駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の国々を後に関東に入国した徳川氏にとって、早急に取り組まなければならない課題は、新領国の支配体制の確立と領国の生産基盤の整備でした。生産基盤の整備、それは新領国を守る家臣団の強化に不可欠な兵糧米の生産や、夫役を負担する農民の経営の安定でした。
そのため、徳川氏は関東に入国すると、江戸を水害から守るとともに、広大な関東平野の開発のための基盤整備、また、物資の輸送のための水路の整備などの目的で大規模な流路変更とともに河川の大改修を実施しました。
利根川の東遷事業といわれる江戸時代初期に行われた利根川の大改修は、それまで東京湾に注いでいた利根川の流れを数次にわたる瀬替工事等によって、現在のように銚子の先で太平洋に注ぐようにしたものです。
これによって水路が整備されて舟運が盛んとなり、江戸と関東一円の農村や奥羽地方を結ぶ流通路が整備された。また、洪水対策や新田開発にも大いに貢献しました。
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