■郷土の美術家■
斎藤与里(1885-1959)
明治18年(1885)、現在の加須市下樋遣川に生まれました。同38年(1905)京都に出て、浅井忠、鹿子木孟郎に学び、同38年(1906)から2年間、鹿子木とともにパリに留学しました。帰国後は、文筆活動を積極的に行い雑誌『白樺』などでゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどの後期印象派を初めて日本に紹介しました。大正元年(1912)、岸田劉生、高村光太郎らと「フュウザン会」という若手画家たちのグループを結成。その後、大阪美術学校の創立に参加。また、美術団体の槐樹社結成に参加し、機関誌『美術新論』の主幹として活躍しました。同社解散後は東光会を組織し会頭となるなど画家として、評論家として明治末から大正期の近代洋画の進展に大きな役割を果たしました。大正4年(1915)第9回文展に初出品した《朝》が初入選し、同5年(1916)第10回文展に出品した「収穫」 が文展最初の特選となり、昭和2年(1927)第8回帝展でも「水郷の夏」が特選となっています。昭和34年(1959)4月に加須市の名誉市民第1号に推挙されましたが、同年5月3日、74歳で世を去りました。
代表作品
収穫 1916年 油彩・キャンバス |
晩秋の赤城山 1946年 油彩・キャンバス |
秋海棠 1950年 油彩・キャンバス |
読書する少女 1955年 油彩・キャンバス |
郷土の美術家