■郷土の美術家■

羽川珍重<はがわちんちょう>(1679?-1754)

姓は真中、名は元信、または冲信、曽伸といい、絵情斎と号しました。武蔵国の川口(加須市)の生まれで、後に江戸の下谷に住みました。若くして江戸に出て鳥居清信に役者絵、芝居絵を学んで、特に風俗人物絵を得意としました。

画風は鳥居派のものより幾分柔らかいものでした。その人生は生涯妻を娶<めと>らず、武道をたしなみ、常に言行を慎み、遊山、舟遊びの際にもはめをはずさないといった、まじめな人物でした。また絵で収入を得て生活をしていましたが、気が向かなければ描かないため、書店も大いに持て余したといわれます。後に仏門に入り、三同宣観居士と称しました。

代表作として享保<きょうほう>7年(1722)の役者評判記<やくしゃひょうばんき>の「役者芸品定」や延享2年(1745年)作画の肉筆画「風俗図」(紙本着色)があげられます。この「風俗図」は彦根屏風に描かれた二人の人物を忠実に模写し、珍重の画技の高さを示す優れた模写本といえます。

延享3年(1746年)に北大桑の香取神社に「神楽絵馬」を奉納し、自画像と小引(しょういん: 短い序文)一巻を子孫に残しましたが、他の物は火災により焼失したといわれます。

下総国葛飾郡川津間(茨城県)の郷士、藤沼氏の家にて没しました。享年76歳。墓は池の端東淵寺にあります。

代表作品


神楽絵馬

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