39 日出安村<ひでやすむら>の〝扶助田<ふじょでん>〟
むかしむかしのことです。日出安村では他の村の者からお金を借りる村人が多く、先祖からの田畑を手放したり、売り払ってしまう者が多くなりました。
「このままじゃあ、村全体が落ちぶれちまうど」
「もう、どのくらいの土地が、他の村の者の土地になったんかわかんねぇな」
村の将来を心配する人は、日増しに増えていきました。
そこで、村のみんなに集まってもらい、相談することにしました。しかし、なかなかいい考えは思いつきません。毎日毎日、熱心に話し合いは続けられました。そして、いくつかの約束が決められました。
一、村人のひとりひとりが、仕事をまじめにやること。
一、無駄遣<むだづか>いをしないこと
一、他の村へ働きに行ってもらったお金はためておき、困っている者に貸してやること。
村人は約束を守り、まじめに働きました。何年かたつと多少のお金もたまり、売り払った田畑を少しずつ買い戻すことができました。
江戸時代の終わり頃、全国的に作物がまったく取れなくなりました。これは〝天保<てんぽう>の大飢饉<だいききん>〟といわれ、人々は草や木の根まで食べたり、多くの者が亡<な>くなりました。
しかし、日出安村ではためておいたお金で困った家を助けたりして、村を逃げ出す者が一人もいませんでした。
「あん時、村のてえ(人たち)が知恵<ちえ>をしぼって頑張<がんば>ってくれたおかげだなあ」
「こうしたことが、いつまでも続けばいいなぁ」
「どうだべ、この際、余裕のある家が少しずつお金を出して、みんなの田んぼを作っては…」
「そのあがり(そこで採れた作物を売ってもうけたお金)で困った者を助けるってわけか」
話はとんとん拍子<びょうし>に決まり、5反歩<たんぶ>(50アール)ほどの麦田ができました。この麦田は困った村人を助けることから〝扶助田〟と呼ばれ、ながく親しまれたということです。(市指定文化財となっています。)