加須ことはじめ(くらし編)
暦年(西暦) | 内容 | |
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慶長元年以降 | 1596~ |
朝鮮出兵のため騎西領内の百姓、無理やり召し連れられ、野辺送り(葬儀)の如き別れとなる(『騎西町史』中世資料編) |
慶長6年以前 | 1601 |
騎西城下で町人が二つに分かれ、大喧嘩が起きる。城主の家臣・岡田内匠、一方の大将「検断孫七」を長刀で成敗、相手方の「ひ山」も成敗する(『騎西町史』通史編) |
延宝3年7月 | 1675 |
阿良川村・玉泉寺の三貞和尚、布施をねだり、位牌や塔婆を薪にするなどの我侭に、檀家の者たち罷免を願い出る(『加須市史』資料編I) |
延享元年10月 | 1744 |
志多見村・兵七郎、北明願寺村で勧進相撲の興行にあたり、村役人に念書を差し出す(『加須市史』資料編I) |
明和7年3月 | 1770 |
志多見村・勘助、倅の惣左衛門が行方不明(家出)のため勘当を願い出る(『加須市史』資料編I) |
寛政3年 | 1791 |
新川通・弥兵衛・細間・砂原・佐波・中新井村で、猪の作物被害のため猟師を雇い退治する旨を代官に願い出る(『大利根町史』資料編上) |
寛政5年~享和3年 | 1793~1803 |
大越村11名、加須町10名、三俣村4名、中ノ目村4名、上種足村8名、不動岡村2名ら、邑楽郡板倉町の荒木新流・田部井道場で剣の修行をする(『騎西町史』通史編) |
文政7年12月 | 1824 |
安兵衛(道目村か)、家を新築するも畑の日差しに差し障るとのことで、和解金として由之丞に1両を支払う(『大利根通史』資料編上) |
天保12年8月 | 1841 |
上大越村の若者、鎮守社の修復落成に事寄せ、芝居を興行するとの噂に、関東取締出役に勘弁を願い出る(『加須市史』資料編I) |
天保13年 | 1842 |
3月、下谷村・忠兵衛ら60名、若者が大勢集まって酒食・博打に及ぶことを取り締まる旨を同意する(『加須市史』資料編I) 5月、騎西町場ほか46か村、農業に精を出し、贅沢な食べものを作らないなどを同意する(『騎西町史』近世資料編) |
嘉永2年3月 | 1849 |
常泉村の若者組、酒盛や神事祭礼での質素倹約を取り決める(『加須市史』資料編I) |
嘉永6年3月 | 1853 |
琴寄村・武助ら123名、村役人に内緒で横沼神社に舞台を掛け、手踊り芝居を挙行、善定寺と観音寺に身柄を預け置かれる(『大利根町史』資料編上) |
文久2年 | 1862 |
8月、麻疹(はしか)・ころり(コレラ)流行につき、樋遣川村の御室・八幡様で祈祷し、お札が配られる(『加須市史』資料編I) 12月、多門寺村で猪・鹿の作物被害のため鉄砲2挺の借用を願い出る(『加須市史』資料編I) |
文久2年~慶応2年 | 1862~1866 |
麻疹流行のため、川越藩から騎西町場・外川・下崎・西ノ谷・鴻茎・牛重・根古屋・日出安・正能村に病除けのお札が配られる。さらに、騎西町場に医師が出張し、子どもに種痘を行い、佐波村、羽生町場にも立ち寄る(『騎西町史』補遺編) |
慶応3年正月 | 1867 |
道目・平野・下新井村の農民3名、兵士として動員される(『大利根町史』資料編上) |
慶応4年 | 1868 |
3月、道目・平野・下新井村の若者、「陽気祝い」「天祭り」と称して心得違いの酒食を行い、二度としない旨を村人の連名・連印で誓約する(『大利根町史』資料編上) 9月、上種足村・定吉、借家住まいにあたり、薄べり6枚・鍋・米5升・挽割(麦)1斗・まき・そだ・夜着・布団・鉄瓶・土瓶・味噌などを買い入れる(『騎西町史』補遺編) |
明治2年7月 | 1869 |
内田ヶ谷村・吉兵衛ら73名、質素倹約のため、神事や婚礼・葬儀での節約、博打の禁止などを申し合わせる(『騎西町史』近世資料編) |
明治6年3月 | 1873 |
3月、道目村で湯屋を営む忠次郎ら3名、男女入込湯(混浴)禁止に同意する(『大利根町史』資料編下) 12月、道目村役人、鷲神社境内での奉納相撲興行を願い出る(『大利根町史』資料編下) |
明治7年2月 | 1874 |
上崎村の若者2名、断髪検査で不適格となる(『騎西町史』近現代資料編2) |
明治8年12月 | 1875 |
杓子木村・喜兵衛、浄瑠璃写絵の興行を願い出る(『大利根町史』資料編下) |
明治15年7月 | 1882 |
平永村の村人27名、旧領主の水野氏に3円60銭を献金する(『加須市史』資料編I) |
明治15年10月 | 1883 |
北小浜村・元之助、写絵の興行を願い出る(『加須市史』資料編II) |
明治31年6月 | 1898 |
東村・長島由次郎ら、牛乳の得意先や価格について協定する(『大利根町史』資料編下) |
明治34年3月 | 1901 |
外記新田において、神事祭典や結婚・死亡などの諸行事を組単位で行う事を申し合わせる(『大利根町史』資料編下) |
明治35年12月 | 1902 |
戸室尋常小学校の幻灯会に村人320名が参集、2階の床が抜け落ち4名がケガをする(『騎西町史』教育編) |
明治37年5月 | 1904 |
日露戦争での鳳凰城占領を祝って騎西尋常小学校に町民が集結、加須・不動岡を行進する(『騎西町史』近現代資料編2) |
明治42年12月 | 1909 |
北埼玉郡内において、明治43年から年中行事を太陽暦で行うことを議決する(『騎西町史』近現代資料編2) |
明治43年2月 | 1910 |
ハレー彗星出現(5月17日)の災害除けとして、3合3勺の飯を15個にぎり、7か所の神仏に供える迷信が各地に広まる(『騎西町史』近現代資料編2) |
明治44年8月 | 1911 |
騎西町内の若者たち、チフス平癒のため玉敷神社の神輿を夜半に盗み出す(『騎西町史』近現代資料編2) |
大正2年 | 1913 |
4月、騎西の町並に電灯が点ず(『騎西町史』近現代資料編2) 不動岡村・総願寺で巡回動物園の興行あり。獅子・虎・ラクダを見る人で混雑を極める(『騎西町史』通史編) |
大正14年2月 | 1925 |
不動岡・総願寺の節分会に1万5千人の人出、東武鉄道が臨時列車を増発する(『加須市史』資料編II) |
昭和7年12月 | 1932 |
大桑村で自転車397台、運送車7台、ラジオ14台、蓄音機20台、バイオリン10本、オルガン4台を所有(『加須市史』資料編II) |
昭和9年 | 1934 |
6月、種足尋常高等小学校(小学校に高等科2年を併設)の児童、406名(男211・女195)が着物、107名(男68・女39)が洋服で登校する(『騎西町史』近現代資料編2) 下種足で4軒、中種足で33軒、上種足で31軒、中ノ目で25軒、戸室で14軒、西ノ谷3軒が新聞を購読する(『騎西町史』近現代資料編2) |
昭和10年 | 1935 |
戸室・若山家から玉敷神社に藤の古木が奉納され(同8年)、藤まつりが開かれる(『騎西町史』通史編) |
昭和19年3月 | 1944 |
旧東京府の公文書約1万冊、戸崎の民家(土蔵)に疎開する(『騎西町史』通史編) |
昭和25年10月 | 1950 |
原道村婦人会が結成、150名が原道村小学校に揃い発会式が開かれる(『大利根町史』通史編) |
昭和30年 | 1955 |
騎西町勉強商店会、青物市場を会場にテレビの無料公開をはじめる(『騎西町史』通史編) |
昭和33年10月 | 1958 |
騎西町商工会、メートル法で営業を始める(『騎西町史』近現代資料編2) |
昭和35年6月 | 1960 |
大戸根村で上水道の給水始まる(『大利根町史』資料編下) |