37 鷹橋<たかばし>と徳川家康<とくがわいえやす>
鴻茎<こうぐき>から牛重<うしがさね>の天神社へ向かう道を北に進むと、川(備前堀<びぜんぼり>)に架<か>かる橋があります。この橋は、〝鷹橋〟とか〝たかな橋〟とよばれています。
むかし、ここで徳川家康が鷹狩<たかが>りをした時のことです。家康の放<はな>った鷹が上空で隼<はやぶさ>とけんかになりました。あれよあれよという間に、鷹と隼は堀<ほり>の向こうへ真っ逆さまに落ちていきましたが、なかなか勝負はつきません。
「誰か、鷹を救える者はおらぬか」
家康はまわりを見回しましたが、堀を越えて行く方法はなく、まわりの者はどうすることも出来ませんでした。
そこへ1人の村人が川にはしごを渡すと一目散に走って行き、あっという間に鷹を救い出しました。
「そのほうの機転<きてん>、誠に感じ入った。名は何と申す?」
「内藤玄蕃<ないとうげんば>にございます」
「見事な働きじゃ。褒美<ほうび>をとらす」
家康は身に付けていた陣羽織<じんばおり>を脱<ぬ>ぐと、玄蕃に与えました。
それからしばらくしてここに橋が架けられましたが、誰言うことなく〝鷹橋〟とか〝たかな橋〟とか呼ぶようになったということです。
※清法寺<せいほうじ>(鴻巣市)には、内藤玄蕃<ないとうげんば>が家康からいただいたという陣羽織<じんばおり>が残っています。これはお坊さんとなった玄蕃の子孫が寺に納めたものです。