28 使わないのも稼<かせ>ぎのうち
田植えが終わると、〝農上<のあ>がり休み〟といって、疲れた体を休める習慣<しゅうかん>がありました。むかしは明神様<みょうじんさま>(玉敷神社)のお湯に入って、のんびり一日を過ごすのが何よりの楽しみだったようです。
ある日のことです。ガヤガヤと楽しそうな話し声と共に、隣村の年寄りが連れ立って表通りを歩いて行きます。
「婆<ばあ>さんや、あのてい(人たち)はどこへ行くんだべなあ」
縁側<えんがわ>で様子を見ていたお爺<じい>さんは、お婆さんに尋<たず>ねました。
奥にいたお婆さんは、それが聞こえたか聞こえないのか、返事もせず台所で仕事をしていました。
それからお爺さんは縁側<えんがわ>に腰を掛<か>け、足をブラブラさせたり、横に寝ころんだりして、ぼぉ~と時を過ごしていました。
かなりの時間が経<た>った頃です。隣村の人たちでしょうか、何やらガヤガヤと話しをしながら帰って行きます。
「いやぁ、さすがに明神様のお湯だ。疲れがみんな吹<ふ>っとんじまった」
「そうだとも。お湯につかって寿司<すし>を食っちゃあ、こてぇさんねぇべぇ(このうえない、いい気持ちだ)」
「いい農上<のあ>がりができたってもんだ」
この話を聞いたお爺さんは、思わず「しめたっ!」と思いました。
「婆さんや、婆さんや。ちょっと、こっちへ来てくんど。俺らぁ、こうやっている間に100円稼<かせ>いだぞ」
「何だね、爺さん。一日中そうやって寝転<ねころ>んでいて、稼ぎも何もあったもんじゃなかんべ」
「なあに婆さん、よく聞かっせ。隣村の者は農上がり休みに明神様の湯に入って、寿司を食ってきたとさ。俺らぁ、ここにいて農上がり休みをしちまったんだから、賽銭<さいせん>と寿司代<すしだい>の100円が浮<う>いた訳<わけ>だんベ。使わねぇのも、稼ぎのうちだんべ」
お爺さんの話に、長年いっしょに暮らしたお婆さんも、すっかりあきれてしまったということです。