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20 玉敷神社<たましきじんじゃ>のオシッ様

お話を聞く

 

 今から100年以上も前のことです。妻沼<めぬま>(熊谷市)の江袋<えぶくろ>という村で悪い病気が大流行しました。年よりや若い者に関係なく、ある者は高熱でうわごとをいい、また、ある者は腹痛<ふくつう>を訴え、なかには命を落とす者までいました。

 

 「このままにしておくと、村中の者がやられちまう。なんか、いい方法はなかんべか」
 「こうなったら、神仏におすがりするしかなかんべぇ」
 「そうだ!騎西の玉敷神社に〝オシッ様〟っていう、有難<ありがた>いものがあるって聞いたが …」
 「そりゃあいい、それを借りるべぇ」

 

 そこで、代表の者が玉敷神社へ行くことになりました。朝もまだ暗いうちに村を出て、神社に着いた時は、東の空がいくらか明るくなりかけていました。村での様子をすべて話し、オシッ様を借りると、急いで村へ戻りました。

 右手に剣を持ち、いかめしい顔をした猿田彦<さるたひこ>の面を先頭に、唐櫃<からびつ>(オシッ様の入った箱)を持った村人が村中をまわります。

 

 「アリャリャーイ、アリャリャーイッ」

 

 威勢<いせい>のいい掛<か>け声を響<ひび>かせて、オシッ様が家々を祓<はら>うと、たちまちのうちに数100人もの病人が、まるで雲や霧が晴れるように < >治ってしまいました。村人はオシッ様の力にただただ驚き、深く感謝しました。

 それからというもの、毎年、玉敷神社のオシッ様を必ずお迎えするようになったということです。

 

※オシッ様とは、お獅子様<ししさま>という言葉が変化したものといわれています。オシッ様がいつから行われるようになったのかは、はっきりしません。しかし、江戸時代後期の文政<ぶんせい>11年(1828)の定日簿<ていじつぼ>(スケジュール表のようなもの)が残っていますので、 かなり古くから行われていたものと思われます。

オシッ様を迎える地域は遠く県外まで広がり、20以上の市町村で行われています。この行事が春と夏に集中しているのも、1つの特徴です。春のオシッ様は農作物がとれるように、夏は悪い病気が流行<はや>らないことを願って行われます。