19 義侠<ぎきょう>さま
むかし、上崎<かみさき>に秋池又三郎<あきいけまたさぶろう>という人が住んでいました。又三郎はあちこちの賭場<とば>(かけごとをする場所)に出かけては金をもうけ、貧しい人に分け与えました。そのため、人々からは〝義侠さま〟と呼ばれ、慕<した>われていました。
江戸時代、同じように義侠といわれ全国でも有名だった国定忠治<くにさだちゅうじ>が、捕<と>らえられて鴻巣<こうのす>までやってきたときに、
「これより北へ2里半(約10キロ)ばかりの所に上崎村があるが、そこに秋池又三郎という俺の知り合いがいる。すまねぇが、忠治が捕<と>らわれたことを伝えてくれ」
と、頼んだといいます。
又三郎は、それほどまでに名前の売れた人でした。しかし、亡<な>くなったあとは線香をあげる者もなく、いつしか忘れ去られてしまいました。
そんなある日のこと、村人の夢に又三郎があらわれました。
「俺が死んでからというもの、誰1人として墓参りをしてくれる者がいない。たとえ線香1本でもあげてくれたら、どんな願いもかなえてあげよう」
村人は驚き、すぐこのことを皆に伝えました。
「粗末<そまつ>に扱って、バチでもあたったら大変だ。なんとかしねぇと…」
「願いをかなえてくれるってんだから、〝義侠さま〟としておまつりするんがよかんべ」
「そうだ、そうだ。そうすんべぇ」
やがて寺にお堂が建てられ、又三郎の墓ができました。「義侠さまに線香をあげれば、願いがかなう」という評判はたちまち広がり、遠くからもお参りにやって来るほどになりました。特に勝負ごとにはご利益<りやく>があったようで、お礼に供<そな>えられた幟旗<のぼりばた>が、お堂の周りにたくさん立ったということです。
※秋池又三郎の墓は上崎の龍興寺<りゅうこうじ>にあります。受験シーズンになると合格祈願<ごうかくきがん>の人がよく訪れました。
国定忠治のエピソードがありますが…。
実際の忠治は江戸時代の終わりの嘉永<かえい>3年(1850)に捕らわれ、大戸<おおど>(群馬県<ぐんまけん>吾妻<あがつま>町)で磔刑<はりつけのけい>になっています。