■加須の偉人

わが国初の実用速記者
若林 かんぞう<わかばやし かんぞう>

 若林かんぞうは、安政4年(1857)に加須村(加須市中央)に生まれました。

 明治15年(1882)に25歳で上京し、速記符号の発明者 田鎖綱紀が開いた第1回「日本傍聴筆記法講習会」に入会し、筆記法を学びました。

 

 明治16年(1883)に、東京議政演説会と自由新聞との論争を速記し、この記録が郵便報知紙上に掲載され、速記実用化の最初の速記者となりました。明治17年(1884年)には、埼玉県議会の要請で同県議会議事を速記、これは地方議会議事録への速記導入の最初でした。

 また、当時寄席随一の人気を博していた三遊亭円朝口述の「怪談牡丹燈籠」を速記にとり出版、講談速記本流行の端緒を作りました。

 

 一方、若林速記の円朝人情噺本は、新しい文体を模索していた二葉亭四迷、山田美妙らの格好の見本となり、言文一致体小説の誕生に大きな影響を与えました。

 

 中でも最大の功績は、明治23年(1890)に開設された帝国議会の議事録作成に速記導入を成功させたことです。以来、23年間にわたり衆議院議事録作成の重鎮として重きをなし、速記懇話会会長、日本速記会副会頭等を歴任しました。

 

 昭和13年(1938)1月に81歳で亡くなりました。政府は、若林氏が速記技術の改良普及に尽力したことに対し銀杯を贈り、その功績を称えました。

 

 今もなお、国会において速記が導入されており、若林の功績は脈々と受け継がれています。