日本の近代音楽の基礎を築いた音楽家
下總 皖一<しもおさ かんいち>
下總皖一(本名:下總覚三<かくぞう>)は、明治31年(1898)に原道村(現加須市砂原) に生まれ、小学校を卒業後、父親が勤める栗橋尋常高等学校に進学しました。
その後、東京音楽学校(現東京芸術大学)へ進学して作曲法を学び、音楽学校を卒業後はベルリンのホッホシューレでパウル・ヒンデミットに師事し作曲法を学びました。
日本に帰国したあと東京音楽学校の助教授になり、昭和10年(1935)に著した理論書「和声学」は、ドイツでの恩師パウル・ヒンデミットから激賞されました。その後、次々と理論書を著し「作曲法」「日本音階の話」「作曲法入門」「楽典」「音楽理論」「対位法」など日本の近代音楽の基礎をつくったとされ、『和声学の神様』と言われています。
また、たなばたさま・花火・野菊・ほたる等の曲は、皖一の曲として有名ですが、実は、彼自身の作曲分野は極めて幅広く、合唱曲、器楽曲、協奏曲、校歌など、多岐にわたっています。また、筝の曲、三味線の曲など日本の伝統音楽についても作曲し、その数は2千曲とも3千曲とも言われています。
皖一の門下には、団伊玖磨<だんいくま>、佐藤 眞<さとう しん>、芥川 也寸志<あくたがわ やすし>、松本 民之助<まつもと たみのすけ>などがいます。昭和37年(1962)7月、64歳の生涯を閉じました。