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土塁<どるい>と障子堀<しょうじぼり>

<ど><るい>

画像:騎西(私市)城土塁跡
騎西(私市)城土塁跡

 土塁とは敵が城に入ってこないように、土を盛り上げてつくった土手のことで、堀を掘った土を盛り上げてつくりました

 騎西<きさい>城の土塁の記録はあまり残ってはいませんが、江戸時代後半に書かれた新編武蔵風土記稿には「本丸や二の丸、その他のところどころ土手(土塁)が残っている」と書かれています。

 また、明治時代のはじめに作られた地図には土塁がアルファベットの「T」状に残り「山林」と書かれています。

 

 現在、 騎西文化学習センター(キャッスルきさい)の東側に土塁(市指定史跡)の一部が残っています。平成5年(1993)に行われた土塁の発掘調査で、土塁の下幅は約10mで高さは約3m以上だったことがわかりました。

 なお、騎西城周辺では大きな石が手に入りにくかったため、石垣<いしがき>はつくられていません。

 

障子堀<しょうじぼり>

画像:障子堀航空写真
障子堀航空写真

 騎西城<きさいじょう>では全国的にも珍しい障子堀が見つかっています。障子堀とは、堀の中に断面がロート状の四角形や長方形の堀を掘<ほ>り、敵の侵入を妨げるものです。

 左は空から見た障子堀の写真です。水色の部分が堀で、堀の中に四角形や長方形の障子堀がある様子がわかります。

 障子堀の幅は約45mで、その内側につくられた土塁は高さ約3mあったと考えられていますが、城の防御は万全だったとはいえません。そのため、土塁の上に塀をめぐらしたり、弓矢や鉄砲の弾をよけるための楯があったかもしれません。