交通

河岸

利根川

文禄3年(1597)~承応3年(1654)にわたる利根川水系の大規模な河川改修の完成によって、江戸川との河川交通がはじめられました。舟問屋は藍玉、米穀を江戸に送るなど商業地としての河岸や、対岸が発達しました。

大越河岸

大越河岸(加須市加須地域)近くの堤防には倉庫が立ち並び旅館や料理店もあり、明治期の大越村は北埼玉郡の物資の集散地として隆盛を極めました。地内の地蔵町・薬師前・寺前の3ヶ所で町並みを形成し、飲食店・旅館・商店などが軒を連ねました。客のエリアは、東は旗井(加須市大利根地域)、北は対岸の川辺(加須市北川辺地域)・板倉(群馬県板倉町)、西は村君・弥勒(以上羽生市)、南は樋遣川(加須市加須地域)などに及ぶ広範な地域に及んでいました。

飯積河岸

利根川を隔てて大越の対岸に飯積河岸(加須市北川辺地域)があり、交通の要衝として栄えました。しかし、明治18年(1885)の東北線の開通や、東武線が羽生まで開通してからは、隆盛を誇った河岸も急速に衰退しました。