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加須ことはじめ(行きかう人、もの編)

暦年(西暦) 内容
奈良時代 710~784

渡良瀬川の向古河付近に「古河の渡し」が設けられ、『万葉集』に「麻久良我の 許我の渡りのから梶の 音高しもな 寝なへ児故に」の歌が詠まれる(『ふるさとの文化財』)

文明18年 1486 『廻国雑記』の著者・道興准后<どうこうじゅごう>、村君(現羽生市)から大越を経て樋遣川に出て、浅間川を渡り、古河の渡しで渡良瀬川を渡って中田(現古河市)、そして上総方面に向かう(『加須市史』通史編)
天正13年1月 1585 後北条氏、間口の領主・一色氏に利根川の渡船禁止と船を引き上げ、船橋を一か所に定め置くよう指示する(『大利根町史』資料編上巻)
慶長6年以前 ~1601 騎西城主松平康重の家臣・越久田彦左右衛門父子、忍城から江戸に向かう徳川家康と中ノ目堤(見沼用水土手)で拝謁し、声をかけられる(『騎西町史』通史編)
慶長年間 1596~1615 富士吉田(富士浅間講)の御師が巡回する壇那場に、大越・志多見・騎西・阿良川・串作・花崎・戸崎・下之村あり(『騎西町史』通史編)
寛永9年以前 ~1632 騎西城下の絵図に「江戸海道」「熊谷海道」などの主要街道あり(『騎西町史』通史編)騎西城武家屋敷跡から、「江戸の勘口郎が安兵衛にアワビを送る」旨の荷札が出土する(『騎西町史』通史編)
寛永年間 1624~44 佐波~飯積、中渡~鷲之宮(中田新田)において、耕作のための渡船あり(『大利根町史』資料編上巻)
寛文年間 1661~73 玉敷神社の茶屋の者たち、江戸より縫物屋を呼び寄せ三十番神ヌイモノを奉納する(『騎西町史』近世資料編)
元禄12年 1699 正能村・丸正講(富士浅間講)の初代先達・一行初山、33度の富士登山を成就する(『騎西町史』通史編)
元文3年4月 1738 江戸の俳人・祇(しめすへんにうじ)徳、常泉の福島家を訪れ、新川(騎西領用水)で蛍狩り、鷲宮明神への参詣、油井ヶ島での舟遊びに興じる(『騎西町史』通史編)
宝暦6年6月 1756 琴寄村前樽場で伊勢講が始まる(『大利根町史』資料編上巻)
安永3年12月 1774 中大越村・七左衛門と下大越村・重左衛門、高瀬舟問屋の運上金として500文ずつ上納することを承諾する(『加須市史』資料編Ⅰ)
安永5年正月 1776 騎西・羽生領の70か村、将軍徳川家治の日光御社参にあたり、栗橋宿へ人足(助郷)を出すよう命じられる(『騎西町史』近世資料編)
安永8年9月 1779 琴寄・細間など13か村、水害による困窮のため、上・中・下大越や樋遣川・三ツ俣・多門寺など羽生領17か村を代役とし、栗橋・中田宿の助郷の休役を道中奉行所に願い出る(『大利根町史』資料編上巻)
寛政6年8月 1794 佐波村の名主・武平次、新たに河岸を設けるにあたり、下大越村の船問屋・重左衛門と中大越村の船問屋・七左衛門から訴えられる(『大利根町史』資料編上巻)
文化2年7月 1805 三俣村の梅沢吉右衛門ら10名、善光寺・松島・日光・鹿島・香取・鎌倉など68日間の社寺参詣をする(『加須市史』続資料編)
文化10年 1813 川口村の名主・小次郎、許可なく嶋川堀(羽生領悪水落)で通船し、利根川通の船問屋6名から訴えられる(『大利根町史』資料編上巻)
文化11年 1814 騎西大明神(玉敷神社)の御神湯、旅籠に逗留して湯治する人多し(『騎西町史』近世資料編)
文化13年2月 1816 上崎村・下崎村・騎西町場村・外川村・正能村・川口村の物資の取り扱いをめぐり、大越河岸と権現堂河岸(現幸手市)で引受先を取り決める(『騎西町史』近世資料編)
文化13年3月 1816 大越河岸と権現堂河岸(現幸手市)で荷物の得意先を協議し、騎西・菖蒲領の41か村は権現堂河岸、羽生領の23か村は大越河岸、戸室・菖蒲・下高柳・久下・多門寺・加須の6か村は両河岸で取り扱うことを定める(『騎西町史』近世資料編)
文政2年2月 1819 加須町・近江屋清八ら5名、伊勢参宮の際の止宿所を書き置く(『加須市史』資料編Ⅰ)
天保3年正月 1832 下崎村・福島半蔵、1月15日から3月16日にかけて伊勢・奈良・大阪・姫路・京都を旅する(『騎西町史』近世資料編)
天保7年10月 1836 鴻巣宿の助郷にあたり、困窮のため箕田村が休役し、志多見・阿良川など5か村が代役を務める(『加須市史』資料編Ⅰ)
天保10年2月 1839 信州の歌人・内山真弓、琴寄の小林官吉家に3か月間寄寓し、近隣を来訪する(『大利根町史』通史編)
弘化2年2月 1845 連日の大雨による出水で、栗橋宿から加須・騎西に至る道中の北大桑地先が往来不能となる。遠近の人々、手弁当で駆け付け修理する(『大利根町史』資料編上巻)
嘉永元年4月 1848 道目村・篠崎忠兵衛、4月1日から27日にかけて坂東33番札所を参詣する(『大利根町史』資料編上巻)
嘉永7年7月 1854 道目村・篠崎磯右衛門ら8名、7月7日から43日間で羽黒・月山・湯殿などを参詣する(『大利根町史』資料編上巻)
慶応元年7月 1865 下崎村の名主・現右衛門、年貢米の上納にあたり船底の破損により米30俵が水損し、急いで取り替えるよう江戸表から騎西町場の会所へ飛脚で知らせる(『騎西町史』通史編)
慶応3年4月 1867 北大桑と北篠崎の村境、「道橋」付近約700メートルが大雨の度に往来不能となるため、両村が道普請の寄付を募る(『大利根町史』資料編上巻)
慶応4年3月 1868 久下村の又右衛門と普右衛門、草加宿から久下村までの駕籠賃として金1両1分2朱と銭8貫400文を支払う(『加須市史』資料編Ⅰ)
明治5年7月 1872 埼玉県に21か所の郵便取扱所が設置され、加須町は若林幸左衛門、騎西町は新井耕作が取扱人となる(『騎西町史』近現代資料編2)
明治6年4月 1873 大越に郵便取扱所が設置、同35年11月には不動岡にも設置される(『加須市史』通史編)
明治7年 1874 8月、運漕会社として下大越村・齋藤源左衛門、船積問屋として佐波村・杉田弥三郎、向古河村・渡辺茂助(明治3年創立)、飯積村・木持政蔵(明治3年創立)、同・羽鳥弥右衛門(明治3年創立)、同・平井浜吉(明治5年創立)、小野袋村・細谷喜三郎(明治5年創立)、麦倉村・赤荻多之助(明治5年創立)、下大越村・黒田七左衛門(明治6年創立)、同・斉藤弥左衛門(明治6年創立)、上大越村・荒木元次郞(明治4年創立)、外野村・荒井清兵衛(明治4年創立)の名あり(『大利根町史』資料編下巻)
10月、見沼代用水を利用した「見沼通船会社」が設立され、外田ケ谷(落合)と上種足村(榎戸)に河岸が設置される(『騎西町史』近現代資料編2)
明治9年 1876 騎西町場(7台)、下崎村(1台)、外田ケ谷村(2台)に人力車が取り入れられる(『騎西町史』通史編)
明治10年2月 1877 22メートルの外輪蒸気船・通運丸(内国通運会社)、大越~東京間の運航を開始する(『大利根町史』通史編)
明治25年11月 1892 東村・青鹿茂右衛門ほか155名、利根川通りの渡船場開設を願い出る(『大利根町史』資料編下)
明治25年 1892 公益道路調べに「熊谷・久喜道」「加須・大越道」「騎西・加須道」「鴻巣・騎西道」「菖蒲・騎西道」「新郷・古河道」「忍・騎西道」「加須・川俣道」「鴻巣・羽生道」「栗橋・加須道」「栗橋・大越道」「久喜・騎西道」あり(『大利根町史』資料編下巻)
明治28年11月 1895 熊谷から持田・忍・大田・不動岡・加須を経て栗橋に至る「北埼玉鉄道」の創立願が出される(『加須市史』通史編)
明治29年8月 1896 熊谷から行田・騎西・久喜・幸手・野田・柏・白井橋本・臼井を経て佐倉に至る「玉総鉄道」の敷設申請が出される(『騎西町史』近現代資料編2)
明治30年3月 1897 大宮から原市・菖蒲・騎西・下須戸・行田を経て熊谷に至る「大宮電気鉄道」の敷設請願が出される(『騎西町史』近現代資料編2)
明治35年9月 1902 東武鉄道、久喜~加須間を延伸し、加須駅が営業を開始する(『加須市史』通史編)
明治36年 1903 騎西町の武本作次郎、乗合馬車の営業を開始、騎西~菖蒲、加須~鴻巣間を運行する(『騎西町史』通史編)
明治42年12月 1909 加須町において電話通信事務が始まる(『加須市史』通史編)
明治44年4月 1911 加須町の小倉久蔵、加須駅から大越・弥勒(現羽生市)・羽生駅・手子林・不動岡を循環する乗合馬車を開業する(『加須市史』通史編)
大正2年1月 1913 久喜から菖蒲・騎西を経て鴻巣に至る「埼玉鉄道」の敷設が許可される(『騎西町史』近現代資料編2)
大正9年2月 1920 騎西自動車株式会社が設立、鴻巣~加須間の乗合自動車路線が開通する(『騎西町史』近現代資料編2)
大正10年2月 1921 騎西町において特設電話(加入者40名)の交換事務が開始される(『騎西町史』近現代資料編2)
大正12年10月 1923 騎西自動車株式会社、加須町・鳥久氏経営の大越行乗合馬車を買収して乗合自動車を復旧、加須~大越、騎西~加須、騎西~鴻巣、騎西~菖蒲間の路線が開通する。
翌13年には騎西~大宮、14年には鴻巣~忍町間へと路線拡大する(『騎西町史』近現代資料編2)
大正13年12月 1924 川口町から岩槻に至る「武州鉄道」、蓮田・菖蒲・騎西を経て羽生に至る路線と加須町に至る路線とで、延伸先をめぐり紛糾する(『騎西町史』近現代資料編2)
昭和2年4月 1927 東武鉄道「花崎駅」が営業を開始する(『加須市史』通史編)
昭和4年 1929 4月、東武線が杉戸から新鹿沼まで延伸し、新古河駅が開設、同年11月には柳生駅も開設される(『北川辺史の研究』)
12月、大越~栗橋間のバス運行が許可される(『加須市史』通史編)
昭和6年2月 1931 麦倉村に利島郵便局が開設される(『北川辺史の研究』)
昭和31年11月 1956 飯積渡舟場と前谷渡舟場、県営となる(『北川辺史の研究』)
昭和31年 1956 大利根村放送農業協同組合、有線放送事業を開始する(『大利根町史』通史編)
昭和47年 1972 10月、「埼玉大橋」が有料道路として開通、新川渡船が廃止される(『大利根町史』通史編)
11月、大利根自動電話局が開局、有線放送が廃止される(『大利根町史』通史編)
11月、東北自動車道の岩槻~宇都宮間が開通、加須インターチェンジが供用を開始する(『加須市史』通史編)