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21 玉敷神社<たましきじんじゃ>のお光<ひか>

お話を聞く

 

 江戸時代のことです。突然、玉敷神社に大異変<だいいへん>が起こりました。

 連夜<れんや>にわたり境内<けいだい>でお光りが発せられるという、不思議な現象が起こったのです。そのお光りは時には鞠<まり>のようにも見え、ある時は何者かが馬に乗った姿のようにも見えました。

 それまでひっそりと静かだった神社は、これを一目見ようと連日のように人々がやって来ました。なかには、夜中じゅう拝<おが>む者さえいました。お光りは高さ2~3丈<じょう>(4~5メートル)にも及び、周りには火の粉が飛び散り、ものすごい勢いでした。

 

 「これはおそれ多いことじゃ。明神様<みょうじんさま>(玉敷神社の神様)がお姿を現したに違いない」
「もったいない、ご利益<りやく>にあずからねば」

 

 いつしか噂<うわさ>は川越<かわごえ>のお城(当時の騎西は川越藩<はん>の支配を受けていました)まで届き、お奉行<ぶぎょう>様やお代官<だいかん>様(騎西の土地を監督<かんとく>する人たち)までもが家来<けらい>を連れてやって来るほどになりました。

 そこで玉敷神社の神主<かんぬし>が、神社を監督する京都の吉田家<よしだけ>に報告したところ、

 「これぞまさしく、久伊豆大明神<ひさいずだいみょうじん>の大己貴命<おおなむちのみこと>さまである」

 との証明書をいただきました。

 「これは誠にもってめでたい。お光り様にお休み頂<いただ>けるよう、お宮を造<つく>ることにしよう」

 大急ぎで、お宮が建てられ〝後光之宮<ごこうのみや>〟がおまつりされました。

 それからは、いつしかお光りは弱くなり、やがて消えてしまったということです。

 

 このお宮は明治になって厳島社<いつくしましゃ>(弁天様)に合併<がっぺい>されましたが、今も境内にあります。また、玉敷神社の『要用集<ようようしゅう>』(宮司<ぐうじ>が書いたメモ)によると、お光があったときに、茶屋の者たちがお礼にと江戸から縫物屋<ぬいものや>を呼び寄せ、三十番神ヌイモノ<さんじゅうばんじんぬいもの>(現県指定有形文化財)を奉納<ほうのう>したと書かれています。