■加須の偉人

わが国解剖学の父 田口 和美<たぐち かずよし>


「東京大学医学部細胞生物学解剖学教室所蔵」

 田口和美は、天保10年(1839)に医師・田口順庵の長男として、小野袋村(加須市小野袋)に生まれました。

 

 14歳で上京し、林洞海に和蘭医学を学びました。23歳の時、栃木県佐野市で開業しますが、医学研究の志はやまず、明治2年(1869)30歳の時に再び上京し、医学校兼病院で解剖学等の研究を続けました。

 

 さらに、明治3年(1870)31歳の時、大学東校(東大医学部の前身)の教師となり、解剖所(後の解剖学教室)を33年間主宰しました。その門下生には、わが国医学界の先駆者となった「森鴎外」や「北里柴三郎」らがいます。

 

 明治10年(1877)38歳で東京大学医学部教授となり、日本人教授として初めて日本語による解剖学を教授しました。また明治21年(1888)、日本で初めて医学博士号を授与されました。

 

 明治26年(1893)54歳の時には日本解剖学会の初代会頭、明治35年(1902)63歳の時には日本連合医学会の初代会頭に就任するなど、常に日本医学界の先頭に立ち、医学の発展に生涯を捧げました。

 

 田口の著した書物に「人体解剖攬要」や「人体組織攬要」等がありますが、とりわけ、「人体解剖攬要」は、日本人によって書かれた最初の体系的解剖書であり、その後、医師・医学生必携の書物となりました。

 

 新聞も読まず解剖学のみに専心し、日清戦争も終局まで知らなかったという逸話が残っています。

 

 明治37年(1904)2月に65歳で亡くなりました。

 

 なお、東京大学解剖学教室にあった田口和美銅像は、平成6年、同大学から無償永久貸与され、北川辺郷土資料館に展示されています。また、複製像が、道の駅きたかわべ敷地内に、生地の旧北川辺藤畑を臨むような姿で建てられています。